前足をひきずっている野良猫が近所に居た。

傷の世話をしてくれる人がいる様子で、 時々包帯が新しく取り替えられる。肘付近で折れているのだろう、弧を描くように、その前足は 曲がっている。感覚が無いのか、 杖代わりに肘を着いて、その猫はピョコピョコ歩いていた。
傷の状態がいい時もあれば、悪い時もある。何とか1年間持ちこたえてきたけれど、'97、年が明けた頃から悪化、 包帯を通して膿が滲み悪臭を放つようになった。もはや素人の手にはおえない。膿で包帯がカチカチに固まって、 まるでギプスのように硬くなってしまっている。冬の寒さもあり、元気がなくなってきている感じ。

だた待っていても、何も始まらないんじゃないか…?

手当てをし続けてくれた人も、無念さを味わっていると思う。関わった者の気持ちは皆同じで、 何とかしたくても、一人の手では…と、諦めが先にたってしまう。 だけど、誰かが動けば、きっと力が集まるはずだ。世話をしてくれた人がいるのだから。 決して皆一人ではないのだから。

包帯を巻いたシロ
[1996.1-1997.2]

野良猫などどうでもよい人にとっては、たかが猫、である。あるいは、他に士気高く夢中になるものがある時には、 目に入りにくいのが野良猫かもしれないとも思う。
事実、日常の中の、小さな出来事だった。だけど、その「小ささ」ゆえ、返って温かさが膨らむ。 行動を起こすにあたって、平常をちょっとだけ超えた微妙なヤル気が 要る。その分、達した時の喜びは、じーんと、大きい。

近所を1軒1軒回ってみた。こういうのは学生時代以来。 学費値上げ反対訴訟の旅費カンパで、大学近所の家々を回ったとき以来。ひょんなきっかけで 心が青春に戻るもんだ。

「あのぉ…この近所に住み付いている、脚の悪い猫をご存知でしょうか…?」
「えっ?!はいっ!今すぐドアを開けます!」

すっかり困り果てていたという表情の中に、一瞬そこはかとない希望が現われるのがわかった。 あぁ、この人も、待っていたんだ・・・。
成す術がなかったもの同士。優しい人々。つい、目頭が熱くなる。

何年も前からその猫をかわいがり、ケガを負った以後もずっと世話をして見守ってきたお二人だった。 近所にいながら、お互いに面識はなかったけれど。
「3人寄れば何とかなる。」
それぞれの心の中で、GOサインの旗が振られたのである。




その猫は1997年2月15日、動物病院に入院した。
包帯の中から現われた1年間ひきずり続けた前足は…、 まるで仙人が修行で肉を削ぎ落としたみたいに、骨と皮だけになっていたらしい。使い物にならない。
3人で結論を出した。 1997年2月21日。断脚手術。

入院中のシロさん
[1997.3.1]

3本脚になってしまった・・・・・・。

「退院して、元通りに外でやっていけるかな?」
「もの言わぬ猫だけど、体の一部を無くした喪失感を感じたら可愛そう。」
3人は、やっぱり責任を感じてしまう。

退院に向けて、入院中病院から抱っこをして連れ出して、住み付いていた場所を歩かせる、というリハビリを重ねた。 しかし、猫は動かない。固まったままなのである。せっかく片手歩行の実地訓練をさせてあげてるのに。人の心、猫知らずだ。
里親を探そうか?という考えもあり、一時期動いてもみた。その時力を貸してくれたのは、 パソコン通信で知り合った猫飼いの大先輩達。雑誌への投稿や ビラなど、猫好きの心をくすぐるような文面を添えて片手の猫を紹介してくれた。 このような人の輪は本当に宝物だなぁとつくづく思う。
結局、今まで通り住み慣れた場所で住み易い環境を守ってあげよう、ということになり、 1997年3月9日退院、もと居た場所で3本脚での野良生活が始まった。

話が少し戻るけれど。
名なし猫は、病院で単純に毛色から「シロ」と登録された。どうせならジュリアンヌとかエリザベトとか、 下半身ぷっくりの 完璧なるメス日本猫からは想像できないような名にしても面白かったなと思ったりもした。 それが次第に単純明解な名がしっくりきて、今では高齢に敬意を表して「シロさん」と呼んでいる。


退院した日。外での初食事。
何となく落ち着かない様子
[1997.3.9 1:00pm]

退院した日。夕暮れどき。
ありゃりゃ?ちょっと心配…
[1997.3.9 4:00pm]



世話人の気持ちがひとつになっていることが、本当に嬉しかった。入院中は、お互いの生活時間を補い合うように代わる代わる お見舞いに行ったし、勿論3人揃って楽しく見舞う日もあったし。小さな事なんだけど、可能性ってどんなところにも あって、それを見つけるのはほんのちょっとしたきっかけなんだなぁと、ほのぼのと思う。

こうして、1匹の野良猫を通して、小さな地域社会の中で、顔も知らなかった3人に新しい友情関係が生まれたのである。 仕事の事、日常の事、恋愛話、家内事情…、垣根のない話にお酒が進む進む〜。
退院後のシロさんの世話は、その時々、できる者がした。餌をあげたら表、まだなら裏。両サイド色の違うクッションを 目印として 餌場に置いて。

「コミュニティ・キャット」
お世話になった動物病院の院長先生が、素敵な言葉をつけてくださった。 私達3人の世話人の、爽やかな自慢だ。


退院直後のシロさん
世話人お二人に抱かれて
[1997.3.9 11:00am]